昨日は、「大人のしゃべり場」

9日は恒例の大人のしゃべり場」でした。最近はコンスタントに10名くらいは参加しています。障害者施設から3、4人、若い青年が来てくれておばさまたちも張り合いが出てきました。彼らはおいしいクッキーを作って、喫茶店などに卸しています。その他は、赤ちゃんを連れた若いお母さん、伴侶を亡くされた高貴(後期)高齢者のS氏、PC指導者のTさん、朗読ボランティアのSaさん、ユニバーサルデザインの陶器を作る人、脚本家、趣味の登山家、
「私はただの主婦」と胸を張る人とさまざま、出入り自由なので毎回同じ顔ではありません。
テーマなど一切ないので、10名くらいになると勝手にグループが出来て話がはずみますが、集まって何かを話し合ったという充実感がないかと思います。
物足りない人は、次から現れません。男性は、「何ってばかばかしい集まりだろう」と思うのでしょう。特にこの辺は、リタイアした男性も博士ばかりだから、なんだかわけの分からない雑談会など許せないことでしょう。
でも、ばかになりません。この「しゃべり場」から、朗読の会、ミニコンサート、筑波山の遺跡や歴史の見学会など、動きが出てきているのです。

男性で常連になったS氏は、以前にも書きましたが5年前伴侶を亡くされ、まったく元気がなかった人ですが、教育者としての知識や寛大さが、集まる人の心に信頼感を与え、それがご本人に伝わるのでしょうか、今は見違えるほど若返りお元気です。
昨日は、以前からちょっと暗い感じで心配だった男性が、とても明るい表情で参加されました。
タイに住む息子さんのところに1ヶ月ほど滞在して帰国されたばかりでした。彼は「息子に教えられました。大したことのないパートナーの料理に、息子はおいしい、おいしいって褒めるんですよ。やってられないよ、と思いましたが、それが足りなくて女房とうまくいかなくなってきたのかなと反省しました。」と照れ笑い。
子どもが巣立ってギクシャクしてきた夫婦の関係が、きっとこれでうまくいくことになったのでしょう。ほんとによかった。世のおば様たちが元気なのは、つまない話を山ほどするからじゃないでしょうか。
組織で偉かった男性は、地域に帰ってからもプライドが許さず、そんな馬鹿な集まりには出んぞ、とひたすら孤独に耐え籠もるだけだと、体によくないのではと言う話が出ていました。どうでしょう?