55年振りの同窓会

 8月17日(日)、長崎の某ホテルにて、容子さんにとっては、55年振りの小学校の同窓会がありました。私は12年振りの再会でした。「できることなら、もっと早く会いたかった。皺をのばして行こうかしら」と容子さん。「みんな、皺はよってるよ。ご心配なく」と私。「いっしょうけんめい きょうまで生きてきたと!」の本がきっかけで
長崎の同級生たちが、企画してくれました。
長崎では、5月にこの本の寄稿者の方々が、宣伝して下さっていて、3日間の長崎滞在がマスコミの取材で埋まる羽目になりました。私は容子さんの付き添いババ的存在でしたから、大して疲れませんでしたが、容子さんは初めての経験でもあり、大変だっただろうと思います。彼女は心配した取材拒否もせず堂々とした態度で応対していました。
 同窓会には、当時の恩師も来て下さっていましたが、どれが生徒か先生かと、めだかの学校よろしく年齢を重ねてしまってはっきり言って歳の差など見分けがつかず、誰が誰だか分かりません。
容子さんの担任の林子先生が、「容子さんは、どこ、どこにいるの?」と声を掛けると、容子さんが飛びついて二人で抱き合って再会を喜んでいました。「両親が亡くなって、ほんとに不憫で」と先生。そのあとは言葉になりませんでした。ふと、容子さんには、長い間こんな風に胸に飛び込んで甘えられる人はなかったかもしれないと思うと、胸にこみ上げるものがありました。
1学年74人の小さな小学校は、周囲を田んぼや川に囲まれ、のどかな環境でした。のんびりしていて、少々子どもたちが、羽目を外しても目くじら立てず温かく見守ってくださった大人たち。稲刈りが済んだ田んぼは、子どもたちの格好の遊び場でした。そんな小学校でも、それぞれの子どもが抱えている事情は、深刻なものでした。
今回集まったのは29人、それぞれがひたすら生きてきたことを、誇りに思い乾杯しました。

この同窓会の様子はNBC長崎放送が取材し、20日に話題として放映したそうです。