親子で聞く講演会

5日、はらんきょう(植物の名前)の会のメンバーと、稲敷市のS中学校の講演会に行ってきた。はらんきょうの会は、毎夏、広島、長崎の被爆者の証言を朗読している。みな戦争体験のない人ばかりで、夏の朗読会では小学生も参加して、大ホールの観衆をあの悲劇の時までタイムスリップさせ共感させる。大したものだ。特に子どもたちまで巻き込んで活動して、後継者が育っているのには敬服する。どの会も高齢化で老人クラブの集まりかと思うことが多い中、はらんきょうの会は、これからの活動に期待が持てるのは素晴らしい。私は、長崎の悲劇を少しかすっている者として、お呼びがかかり、時々共演?することになっている。
最近の中学生は、集中力がないと聞いているから、暗い話などどうなるかと、ちょっと心配していた。今回はPTAのPの企画ということだった。とりあえず、ボードに「焼き場の少年」を貼った。これは、アメリカの従軍フォートグラファー、ジョー・オダネル氏が、長崎の原爆投下の1ヶ月後に写真におさめたものだ。10歳くらいの少年が1,2歳の赤ん坊をおんぶして焼き場に立っている。彼は、くたびれた上着と半ズボンを身につけ裸足で唇を固く結んで、直立不動の姿勢で立っている。背中の赤ん坊を荼毘にふすためにやってきたのだ。オダネル氏によると、固く結んだ唇からは血が流れて、赤ん坊を焼く炎がおさまると、少年はくるりときびすを返し沈黙のまま立ち去ったという。この話に、全身大やけどを負いながら、明日も3・5キロの石ころ道を歩いてお国のために工場に行き働かねばならないからと、片方の靴だけ、大事に抱えて帰ろうとした実兄(当時16歳ー自宅へ帰りつけなかった)の話をした。この話がどれくらい今の彼らの心に残ったかは分からない。わりに真剣に聞いてくれてたのには、ほっとした。