沖縄戦跡巡り

先週の金曜日には、沖縄で戦跡巡りをしていた。月日が経つのは早いもので、もう1週間前になる。あの太平洋戦争敗戦から63年目。沖縄戦の悲惨さは知ってはいたが、現地で直接感じたことはなかった。日ごろ、長崎の原爆のことについては関わっていても、東京大空襲沖縄戦については、そう関わりがない。核兵器という特殊性から世間の関心もまた、長崎、広島には集中しがちかもしれない。私は長崎、広島を語る時は、やはり他の戦争被害を常に意識してしなければならないと考えている。今度は沖縄を少しは身近に感じる機会になると思って出かけた。
 マスコミでよく紹介されるひめゆりの塔、沖縄平和祈念堂、平和の礎、海軍司令部壕をまわり、共通して感じたのは、学徒動員による少年少女を含め民間人の犠牲が多いということと、戦時中の教育「捕虜になるより、自決すべし」が徹底していた結果、大勢の犠牲者を出してしまったということだ。海軍司令部壕は、約30メーター、105の階段を降りていくと、通路が縦横に張りめぐらされていて、全部で450メーターにおよび、その中の300メーターが公開されている。当時、米軍の攻撃に対し持久戦でのぞむため、約4000人の兵士が収容されていたという。この壕を掘るためにも学徒動員の学生さんたちが使われたという。
食料難で痩せこけた少年たちが、壕の中でひと時の休憩?をとってる写真には、胸を打たれた。壕は壁がきれいにセメントで塗り固められ整備されていて、2月で気候もよく温度も低めで快適であった。ガイドさんの話によると、地下30メーターともなると、当時は水がたれてきて足元は水浸しでけして快適ではなかったという。それに6月という季節は沖縄は猛暑の時、エアコンなどなかっただろうにと思うと、その大変さがわかる。幕僚室には、幕僚が手榴弾で自決した時の破片のあと、血痕など残っていた。
やはり、「百聞は一見にしかず」で、感じるものは十分にあった。しかし、長崎、広島はもちろん沖縄でも、我慢できないほどの悪臭と猛暑は伝えられない。
沖縄は、基地問題、教科書問題と問題が今も山積している。沖縄の人々のもどかしさを、自分の問題として考える機会になった。