「マイペンライ」で動いてみれば、、、

タイ国の滞在から、学んだものは「マイペンライ」の精神でした。「なるようになるさ」ケセラセラ、とでも訳しておきましょうか。
インドネシアのことば「ティダアパアパ」は、音声からも楽天的に聞こえてきます。戦争で父親を亡くした私には、世間で言うコネがありません。何をするにも、自分が頼りでした。戦争で孤児や一人親(特に父親を亡くしたのが多い)になった人はみな同じ条件だったと思います。
その苦労は、養護施設で育った人たちの手記に綴られています。
厳しい体験は人を臆病にもし、逆に勇敢にもするようです。
また、私にとっては何年経とうとも消えることのない「長崎、広島の原爆の日」がやってきます。1945年、8月6日、9日の犠牲者は其の年末までに20万人を超すことが、原爆投下たった10秒間で決まってしまったという報告があります。私の母は、そんなことはつゆ知らず、長崎の原爆投下の9日から、2,3日生きていた父と兄を一生懸命介護したのです。其の母も、27年前、10秒間のことも知らず、他界していきました。
「平和の鐘、一振り運動」は、一瞬の破壊力と放射能の殺戮力を感じつつ長崎を最後の核兵器投下地とし、平和を誓う鐘の音をと、全国に呼びかけました。
 これが、「マイペンライ」で、多分一人も動いてくれる人はいないだろうし、鐘をついてくれるところもないだろうけど、呼びかけてみようと試みたのでした。ところが、昨年は全国で33箇所で実行、今年は、長崎ピースミュージアム関東地区のボランティアの方々が、この運動に取り組んでくださるそうです。このミュージアムは、さだまさしさんの呼びかけで長崎に開設されたものと聞いています。このMIXIやはてなブログのプロフィールをプリントアウトして、施設やお寺、神社を回るという人も出てきました。
 「ダメモト」でのスタートでしたが、いろいろな方々の取り組みが
始まっています。世の中、心が通じる人もいますので、生き難い世の中ではありますが、「マイペンライ」で積極的に生きてみると、感動することにも出会えます。タイ国からの見えないお土産に感謝しているこの頃です。