拙い作品が結ぶ縁

 先週の4日は、名古屋から瀬戸市に行きました。瀬戸市で開かれる「平和コンサート」に招待されたからです。瀬戸市のコスモスの会が、「広島、長崎を忘れず、平和の大切さを知らせよう」と企画しました。この会の代表、田中さんは、このコンサートを実現するために、昨年つくば市で開かれた200人規模のコンサートを、わざわざ瀬戸市から聴きに来てくれた人です。つくば市のコンサートは「嘘だと言ってください」(拙作)を広める会の林さんが開きました。この歌は被爆者の悲恋物語ですが、私が勝手にモデルにした女性もこの夏、長崎に行った時、亡くなったことを耳にしました。瀬戸市で歌ってくださった橋爪さんも、「初めは涙が出て練習にならなかったが、今日は無事歌えました」と舞台の上からコメントしていらっしゃいました。どうしてこう共鳴してもらえるのか分かりませんが、つまり私の詩がいいというのではなく、真実をそのままに表現したからだと思います。
多少の差はあれ、被爆者のほとんどが「見えない放射能」に怯え青春期に経験した悲しみが、聴く人の心に響くのでしょうか?(ま、反戦歌ですから、そうは拡がりませんが)
 とはいえ、まさか日本のほぼ真ん中まで、この歌が飛んでいくとは思いませんでした。会場は主催者の予想を超え、
320人定員いっぱいの大入り満員で、入場できなかった人もあったようです。改めて、歌の力を感じました。
コンサートの後、懇親会では、東京から朗読出演のためいらしていた内藤さんや、広島から被爆ピアノを運んで来られた矢川さんに再会しました。内藤さんは、ずっと前、日野市で拙作「ところてんの歌」を朗読してくださった方で、矢川さんは、長崎の浦上天主堂でのコンサートでお会いしてました。長崎でも広島でもない意外なところでの再会にみな感動しました。そして、社会人3年生の若い女性が、「明日が来なかった子どもたち」を学生時代から読みこなしていて、私に代わって私が言わんとするところをしっかりと解説してくれたのには、感動しました。この女性は、コスモス代表の田中さんの英語塾に通っていて、私の作品に触れたというのです。そして長崎の大学へ進学したとのことでした。就職で帰郷したけれど、できれば長崎に戻りたいとのことでした。「人々が優しく、のんびりとして住みやすい長崎」と、私の故郷への彼女の評価でした。田中塾は、夏休みにアメリカへ塾生をホームスティに連れて行くのですが、それが、オハヨオです。田中さんは、そこで長崎、広島を伝えようと、請われれば講演もしています。今年初めて海外で「平和の鐘・一振り運動」をやってくれたのが、オハヨオの教会でしたが、多分、田中さん塾生さんたちが、きっかけを作ったのではないかと思います。田中さんは「嘘だとーー」を英訳し、「ばってんネットワーク」も配布してきてくれたのですから。拙い作品を媒体に人の輪が広がり、田中さんのお陰で、若い人にも「平和の尊さ」がしっかりと伝わっているのが感じられるすばらしいコンサートでした。関係者の皆さんに感謝。