昔は父親の顔を知らない子、今は母親の顔を知らない子

敗戦後、お父さんの顔を見たことがない子どもたちが居ました。この子たちは、戦時中お母さんのお腹の中にいて、戦争が終わってもお父さんが戦場から帰って来なかったからです。
 今は、医者不足で安全に子どもを産めない時代になって、医療処置が間に合わず母親の死亡という不幸に遭遇し、子どもは母親の顔を知らずに育つことになってきているようです。「妊産婦死亡」のニュースは、ほんとにやりきれないものがあります。といって、私は、少し医療現場の医者の過激な労働が分かっているだけに、一方的に病院を責める気にはなりません。都立墨東病院も一度目の受け入れ要請の時は、研修医一人だったそうですから、受け入れたとしても大したことはできず、結果はもっと悪かったかもしれません。(研修医さんには失礼ですが)
 二度目の要請には、その日はフリーだった産科医を呼んでの受け入れだったようです。大きな総合病院の勤務医は、過酷な勤務状態が続き、医者自身が体調を崩したり、ウツになったり、挙句の果ては自殺に追い込まれる例もあります。結局、時間がコントロールできる開業医が多くなっていってるのだと思います。
 医療ミスは、このような状況では、起こるべきして起きるわけで、起こした医者が技術に未熟とか知識不足だけではない様に思います。正義感が強く、のっぴきならない他の医者の代役を務め、極限まで働き続けた結果、医療ミスにつながることもありうるのです。
 どんなに真面目に誠実にやったとしても、人の命を殺めたには違いなく、訴訟問題に発展します。そうすると、医者自身が疲労困憊の状況のなか、あえて訴訟のリスクを負ってまでも診療しようとはしないでしょう。
 少子化で、子どもを産んで欲しいというだけで、何の手立てもうってないのはどうしてでしょう。医者は足りないのです。
 緊急医療には、開業医の参加が必要でしょうし、私の母たちが病院ではなく、産婆さんの手助けで自宅で産んでいたことを思うと、ノーマルなお産は、産婆さんの助けによる出産を促すように、産婆さんのネットワークを作り活用させれば、トラブルのある妊産婦を受け入れる余裕が 救急病院にも出てくるかもしれません。
 悲しい事故(事件?)でしたが、単純に医療機関や医者を非難するのではなく、これを無駄にせず、根本的な問題解決を、世の中全体で考える必要があるかと、思います。それが何より亡くなった妊婦さんの供養になるのだろうと思います。                                            合掌