29年振りの文集

 先週末のことです。名古屋からA4のメール便が届きました。{本当に「今頃?」と思われるかもしれませんが、、、}という書き出しで、 29年前、名古屋市の社会教育センターに、若い母親のためにの託児付き講座を開くように運動した「グループあひる」のメンバーの一人、Fさんからのものでした。
 この運動は、たった一人から始めたしんどいながら、素晴らしい展開をみた活動でした。
10周年を迎えた頃、東京に移住している私に、署名運動を始めた無の時から、10年で名古屋市の16の社会教育センターにすべて託児が付くようになり県からも活動に対し表彰され、一応の成果をみたので、ここで「グループあひる」の活動終止符をうちたい、ついては活動の纏めとして文集を作るという連絡がありました。
 当時、つまり19年前、文章を書いて送ったことは覚えてますが、文集ができた報告もなく、すっかり忘れていました。当時、原稿が集まらなくてそのままになっていたそうですが、昨年私が名古屋を訪れた時、地元のメンバーで、遠く忘れ去っていた文集のことが持ち上がったようで、ここに来て改めて活動を文集にすることになったというのです。
 私はきっかけを作っただけですから、大したことはありませんが、私が名古屋を去ってからの多くの関係者の活動は、苦労が多かったに違いありません。
 私は、東京やつくばでもボランティアグループを立ち上げ、他のグループと協同して、女性が社会でなるべく生き易いようにという活動をしてみましたが、いつのまにか個人一人の活動にして、内閣府男女共同参画室に報告され、間違いだらけのデーターが全国公開になっていたりするなど、男女共同どころか女性同士でも信じられないことが起きることを体験しました。
 そういう経験からいうと、名古屋市でのこの運動では、市内外の女性グループが、私たちの活動を支援し、行政の職員も、中日新聞朝日新聞などのマスコミまでも、この運動を応援してくれるなど、今になってみれば、ほんとに珍しい市民活動の成功例ではないかと、実感しています。
 「何かの花火をあげる」のは簡単なのかもしれませんが、その花火を空で美しく花を咲かせ、人びとの心に残すことは、難しいことです。
あれからそろそろ30年も経とうとしていますが、この文集ができ、「運動なんて」と諦めている若い人たち、特に女性たちに参考にしてもらえたら、どんなに嬉しいかわかりません。ので、頑張って「グループあひる」後のことなどもを、書いて送ろうと思います。