昨日、3月10日は、東京大空襲があった日

 64年前の昨日、東京は大空襲で、約10万人の犠牲者を出しました。とかく、広島、長崎の原爆被災の陰に隠れてしまっているところはありますが、即時の犠牲者では長崎の約7万4千を上回ります。
私は長崎出身で肉親が原爆の犠牲者になり、家族がその後の苦しい生活を強いられたこともあり、原爆のことは知ろう、知らせようという意識が強いのですが、東京大空襲のことは、あまり知りませんでした。
1991年、この東京空襲のことを伝えて続けておられる早乙女勝元さんが、ご自分の原作「戦争と青春」という映画を制作し、広く伝えたいということで、市民サポーターを募集しておられました。
そこで、原爆ばかりを声高にいう前に、その他の国内の空襲でのことをし知りたいと、いくらかの資金を出して協力しました。映画制作の現場も見学する機会もあり、監督の今井正監督と、お話しすることもできました。今井監督はすでに古希?を過ぎておられると思いましたが、映画上映会へも積極的に参加され、それはそれはハードなスケジュールをこなしておられました。社会派監督のこの映画への強い想いがあっての行動だったと思いますが、この映画上映会が話題になり始めた11月半ば過ぎ、突然監督が逝去されました。監督の最後のお仕事だったと思いますが、あの映画ももう一度上映され、若い人びとに戦争がどういうものであるかを知ってもらいたいものです。10日の大空襲の様子は、講談社から出版されている「戦争と青春」に詳しく描写されています。
できれば、本だけでも読んでもらえたらと思います。
この時、感じたことは、サポータが県別にリストに載っていたのですが、長崎県は少なく私を含め2,3人に過ぎませんでした。
 広島、長崎をいうと、あの戦争の犠牲は、広島、長崎ばかりではなかった。という声が聞こえてきます。その通りです。各地が個々に活動することも大切ですが、「平和」という目的のためには、連帯していくことが大切でしょう。栗原貞子さんの詩に「広島といえば、パールハーバーとかえってくる、、、」という一節がありますが、少し意味は違いますが、国内でも広島、長崎の補償のことばかり主張すると、他の多くの犠牲者の遺族から不満が出てくることと思います。今、民間の犠牲者への補償をと東京大空襲訴訟がなされています。このような時に広島、長崎がなんらかの協力できれば連帯感が生まれてくることでしょう。
 戦争は、64年経っても、その悲劇にもろに巻き込まれたものには、まだ終わっていません。絶えることなく問題は出てくるのですから、戦争をしない努力を、日常のさりげないところでみんなでやっていきたいものです。