「ほんとにいっしょうけんめい 生きてきたのね!」

 満州からの復員船での記憶は、「パンパンに膨らんだ死体の横に、真っ赤なりんごが供えられていた。夜になると、その死体が暗い海の中にすべり落とされる音がいくつもしていた。
孤児となって施設では大切に育てられたけれど、美容師になろうと美容学校へ入学し希望に燃えていたところに、肺結核で入院。クリスマスの見舞金にたった1枚の50円玉が入っていた時は、喜びより悔しさで
布団をかぶって泣いた。頼りにしていた兄の自殺、、、、。

 容子さんは、たんたんと自分の手記を読んでいきました。会場は涙ぐんでシーンと聴き入りました。

ほんとに、「いしょうけんめい きょうまで生きてきたのね」
あれほど、手記を書くののをためらっていた容子さんのみごとな変身。朗読者として、アラカンでのデビュウです。

他人の人生を暴いてどうする!心配でした。容子さんの気持ちが。
26日、ナガサキピーススフイア貝の火運動、関東地区ボランティアの会の企画でした。

定員30名を超えた会になりました。容子さんが、これから「明日へつなげる平和のメッセージ」を出し続けてくれるよう願っています。