「憲法9条の会」と「平和の鐘・一振り運動」

 身内2人の三回忌から帰って、「今年も長崎の原爆忌」と重なって、自分では何も活動できなかったなあと思いながらも、ほっと一息ついてました。

そこに、あるお寺のご住職から電話がありました。このお寺は「平和の鐘・一振り運動」に賛同してくださり、3年前から実行して下さっています。
ご住職「平和の鐘は、特定のグループや思想からのではなく、一人一人の平和への願いを込めたものだということでしたが、今年は「9条の会」の名前がでていますが、どういう関係ですか?」
私  「当地の9条の会が賛同され、会の名前で呼びかけ文を出されたらしいのですが、それについては、あくまでも個人の意志による活動が原点ですから、一応、9条の会にそのように厳重に言ってあり、会の方も理解してくださり、今後はそのようにするとのことです。申しわけありません。」
ご住職「私も9条は支持してます。しかし、檀家さんの中には、そうじゃない方もおられま す。いろいろな考えの人たちを、ひっくるめていい世の中をつくるよう日々研鑽していくのが、お寺ですし宗教家なので、一方の考えだけでを取り上げて実行するわけにはいかないのです。あなたは、鐘が鳴ることを目的としていない、核兵器がどんなものかを考え、核兵器をこの世界からなくすことを考える人たちを増やしたいとおしゃいましたね。わたしは、9日はお盆前でお寺はどこも忙しく、自分の寺に居ないことが多いのですが、出かけたところで「平和の鐘・一振り運動」の趣旨をお話させていただき、改めて平和の尊さを皆さんで共有しています。それでいいのですよね」
私  「その通りです。平和運動と言われるものが、広島、長崎、被爆者、イデロギーなどに囲い込まれた状況で、一般の人が気軽に参加しづらくなっています。ので、誰でも、どこでも、いつでも参加できる運動にしたいので、個人が単位です。個人で平和の鐘を鳴らしてくださいという行動を起こすことで、その人は自分の問題にすることができると思います。誰でも、{核兵器廃絶は必要}だと思っても、まだ他人事にすぎません。鳴る鐘の数ではなく、平和への思いを持ってくれる人の数をふやしたいのです。ご住職がおっしゃるとおりですので、これからもよろしくお願いいたします。」  
 ご住職の電話で、改めてこの運動の原点を確認することが出来ました。

各地の「9条の会」が賛同して下さるのはほんとにありがたいですが、
どうか、「鳴らしてください」の行動は、9条の会としてではなく、個人の自由意志に任せてくださるようお願いします。同じ思いの人が誘い合ってグループでお願いに行って下さるのは、何も問題ではないかと思います。一人一人の心に「核兵器のない平和な世界を」という、日本のブランドを掲げ、日本人が世界をリードしていきたいものです。