[核なき世界へ」岩垂弘著ー同時代社、を読んで

先月から、岩垂弘著「核なき世界へ」を、繰り返し読んでいます。岩垂さんは、長崎、広島はもちろん核問題を追い続けていらっしゃる筋金入りのジャーナリストです。元朝日新聞編集委員で、退職後は退職金を基に「平和協同ジャーナリスト基金」を立ち上げられ、現在も活躍中です。この基金から毎年贈られる賞は、日本版ピュリツア賞と言われています。
さて、この本は、日本が戦後、「戦争しない核なき国」を憲法上謳いながら、政府と国民がどのような動きをしたかが、実際の取材現場に立って検証されたものなっていて、説得力があります。
その中で、私が興味を持ったのは、日本の「核廃絶への運動」の流れや、核廃絶のために一生を捧げた人々でした。
1967年、長崎県佐世保市に米国の原子力空母「エンタープライズ」寄港を、岩垂さんは取材に行かれ、反対する学生とそれを阻止しようとする警官隊との衝突の中で、全身7ヶ所を負傷し治療10日間の治療を要するという診断がくだったということが、書かれてありました。
このころの私は、社会に出てしかも長崎からも出て、できれば原爆とか、核問題などすっかり忘れたいと思っていました。
 自分の家族二人があの原爆で悲惨な死に方をしたというのにです。改めて、いい加減な生き方をしていたということを反省させられました。
また、この本に登場する2009年3月に亡くなった伊藤明彦さんは、被爆者の「声」を収録し全国の図書館や平和記念館に寄付をされた人です。その活動のために、NBCの放送記者をやめ、フリーで活動されたという。退職金を使い果たし、肉体労働で活動資金や生活費を稼ぎながらの壮絶な活動だったということですが、今の世にこんな生き方をする人がいるのだと思うと、感動でことばがありません。
 そして、「核なき世界」のために残したい作品や主張を出版したいと思う時、岩垂さんも、伊藤さんも出版社に頼るのでなく、自分で残していくという姿勢には、大いに反省させられました。
 何しろ私には、未だに、出版社に出してもらいたいという、卑しい気持ちがあるものですから。
伊藤さんが、世界へ発信されているサイトを紹介します。

http://www.voshn.com
憲法改正のための国民投票が言われています。
若い方々が、岩垂さんの本や伊藤さんの被爆者の声に、一人でも多く触れてもらえたらと思います。