韓国からの学生さん、いかがお過ごしですか?

1980年後半に出会った韓国からの学生さんの林さん、金さん、李さん、等など、いかがお過ごしですか?とても心配です。あの頃、皆さんとの忘れられないやり取りを思い出しています。5年間ほど日本語学校の先生をした時のことです。
Aさん「ぼくら、祖国で何かあったら、学校なんか止めて、即帰国して国を守ります。」
私「それって、日本がまた何か起こすことを、想定してるの。」
Aさん「違います。北です。」
同じ民族なのに、そんなに緊張感があるのかと、改めて問題の深さを思いました。
私「私、男の子育てるに当たって、暴力は絶対ダメ、って育てました。そしたら、中学生の頃、1対3,4人に囲まれてぼこぼこになって帰ってきたことがあります。」
Bさん「それは間違っていますよ。僕は喧嘩で負けて帰ると、勝つまで戦って来いと、家に入れてもらえませんでした。」
Cさん「日本に来る時、日本はやめろ、残酷無比な国だからと言われました。で、すごい恐ろしい男たちがうようよ居るのかなと思ってきたら、電車の中で漫画を見てへらへらしている若者が多くてびっくりです。」

戦争が終わって40年以上も経とうとしているころの話ですが、「日本への辛い記憶」は払拭されていないことに、今更ながら驚いたことと、本はといえば、大国の思惑に翻弄された朝鮮半島だと思われるのに、同じ民族でいがみ合わなければならない不幸に胸痛めました。

すでに韓国社会の中堅として活躍している皆さんが、どうかどうか不幸な道に迷い込まれないように祈っています。
私は、腰抜けの男の子を育てたと言われても、彼がバイオリンと中国語を駆使して、平和な社会のために頑張ってほしいと、後悔はしていません。