人類を滅ぼすのには、核兵器はいらない、原発で十分?

 3月11日、帰宅難民を経験し、茨城の自宅へたどり着いたら、予想外に大変な状況になっていました。といっても津波に襲われた東北や北部茨城に比べれば、大したことはありません。本や資料が散乱し、グラスや陶器が割れて足の踏み場もないのは、人生の整理整頓の機会と思えば、気持ちも楽。
問題は福島の原発です。東電や政府が「大丈夫だ、大丈夫だ」とTVで流しても、いつもより、何倍かのヨウ素やセシュウムが空気を漂っていると思うと、気持ちがいいものではありません。長崎の原爆被災者として、放射能の怖さは身に沁みてわかっていて、執筆活動ではその度書いてはきたけれど、自分も電気を使って豊かな暮らしをしている身としては、原発が事故を起こしたら、その被害をあえて受けても仕方がないと、諦めて声高に反対してこなかったのです。それは日本の高度な技術にどこか期待していたところもあります。
 しかし、ここにきてまた被曝の恐怖を感じる今、個人的な心境はおいといても、この環境の破壊は、他に比べようもない甚大のもので、日本のみならず世界中に及ぶものであることを実感しています。大袈裟かもしれませんが、人類を滅ぼすのに「核兵器はいらない、原発があれば十分ではないか」という思いです。あれから1ヶ月経とうとしていますが、お天気が続いているというのに
私の周辺では、洗濯物を外に干してあるところがありません。窓も締め切って散歩も行かず、どんどん気持ちが滅入っているのです。
原発については、これまでもその専門の学者や原発の建設に携わった人が、危険性を主張しておられました。その心配が的中してしまったように思います。
これから、生活が少々不便になっても、人間に限らず生物に安全なエネルギーに切り替えていくよう、一人一人が努力することが大切だと思っています。