筑西市立明野図書館で、10代から20代の男女で構成する「ナイロンのりぼんの会」による朗読の会に出席してきました。定員50人くらいの視聴覚室は、ほぼいっぱいの人が集まりました。先月30日、大きく取り上げてくれた朝日新聞(茨城版)を握って参加してくださった人もありました。数ある長崎、広島を題材にした詩とともに、私の著書「1945年 夏 長崎、それから」の作品を抜粋して3,4作を朗読してもらえるのかと思っていたら、全部が私の作品でした。驚きです。
緊張した面持ちの中、張りのある若々しい声が会場に響く。内容はけして明るいものではないのですが、あどけなさが残る高校生の声、ちょっと大人びいた大学生の声、世の中を知り始めた社会人の落ち着いた声、それぞれが適材適所に割り振られ、約1時間20分におよぶ朗読を飽きさせませんでした。
私の作品以上のものを集まった人々に伝えてくれました。改めて「やさしく分かりやすい文章」を書くことに徹してきてよかったと思いました。若い頃、某放送局のラジオ報道部で、難しく書かれた文章を、耳から聴いて分かる文章に、リライトしていましたが、上司にどんなに格調高い文章でも、多数の人にわかってもらえなければ、それは発信しなかったものと同じとしごかれたのが、身についてしまったようです。
「原爆、戦争ものといえば、なにか壁があって壁を乗り越えないとその世界に入っていけない感じがあったが、鶴さんの作品は壁を感じることなく、その世界にすっと入っていけた(朝日新聞から)」と、若い人が受け入れてくれたのですから、こんなに嬉しいことはありません。
原爆で肉親に犠牲者を出した者として、何とか被爆地の想いを伝えたいと細々と活動を続けてきましたが、今日ほどやってきてよかったと思ったことはありません。それは、若い世代に繋ぐことが出来たのではないかという実感をしたからです。この若者を育てたのは、筑西市で、小学生から大学生、社会人を巻き込んで、長い間「広島、長崎を伝える活動をしてきた「はらんきょう(植物の名前)の会」の人たちです。そのリーダーの加藤さんの功績には、敬服です。
これから、「ナイロンのりぼんの会」が、ますます発展してくれることを願っています。