豪腕平和活動家、濱崎先生へ

2月2日、私の心の支えだった濱崎均先生が逝かれました。悲しみの2月でしたが、長崎新聞社の方に追悼文を書くように言われ、追悼ではなく再会の約束の手紙を書きました。15日付けの長崎新聞に掲載されましたが、原稿のままで掲載します。先生は私の長崎大学付属中学校の時の恩師で、中学卒業後25年振りに平和活動で再会し、それ以来、私の心の支えだった人です。関東では、一般には知名度がありませんが、先生の地道な活動は必ず後世に残るものだと確信しています。

多くの人々の心の中に永久に生きる浜崎 均先生へ
前略、
昨年の八月末、リハビリ中の先生を長崎にお見舞いに行き、先生が日々回復なさっているご様子を目の当たりにし安堵してつくばへ帰りました。それを追うかのように先生からのお礼の便りが届きました。それは、麻痺した右手で書いたとの註がありましたが、しっかりした文字で、先生の並々ならぬ「書いて伝える」熱い思いが感じられました。
そして今年1月11日午前中に、先生からのお手紙が届き、「新しい勇気を持とう」という詩が入っていました。早速お昼からの集まりに持って行き、朗読のプロに紹介してもらいました。こちらは放射線の恐怖の中にあるだけに、大いに皆さんの共感を得ました。
 長い間、先生が編集長を務められた証言集は、単に生き残った人の厳しい体験の証言というばかりではなく、あの忌まわしい原爆で逝った人々が、確かに現世に生存していた証拠を記録したものであり、ともすれば忘れ去られようとする死者をも蘇らせた作業だったと思います。その内容は、各集とも被害、加害の両面からの視点から編集され、バランスいい問題提起になっていて、海外にも受け入れてもらえるすばらしいものです。
 また、先生は修学旅行生に自らの体験を語られ、『日本作文の会』では、現役の先生方と作文の指導などの研究と実践に情熱を燃やされたそうですが、その機会に先生と触れ合われた方々の心には、先生の『平和への願い』が、克明に刻まれたことと思います。
 2010年に「長崎の証言の会」は「日本平和学会第三回平和賞』を受賞し、先生は、会場の茨城大学で受賞講話もなさいましたが、なかなか要領を得たお話でした。まさに、書いてよし、話してよしの豪腕の平和活動家です。
 最近、私はその豪腕平和活動家に、生意気にも「ヒロシマナガサキ、ヒバクシャ」に括らず、「ヒロシマナガサキ、ヒバクコクミン」として日本全体で世界的な反核運動をとか、『証言』をもっと若い人に受け入れてもらえるように、詩や歌や朗読劇など、ソフトタッチのものにアレンジをなどと、勝手なことを申しておりましたが『次世代に繋ぐためには、大事なことだ』と不愉快な顔もなさらず受け止めてくださっていました。
「証言集」は、平和を愛する人々の宝です。しかし、それを書庫に眠らせることなく、輝きを与えるのは、これからの人々です。私にもあまり時間がありませんが、あの手この手で、この宝を磨いてみたいと思います。気に入ってくださった拙作「かわいそうなひまわりー英訳版」が、アメリカのIWA(国際的な作家とアーチスト協会)で好評で、会員にコピーして配布されたというニュースが入り、先生に報告しようとしていた矢先に、突然黄泉の国に転地療養という知らせが入ってきました。一瞬茫然としましたが、私の頭の中には、あの8月の復帰の意欲に燃えた先生のお姿しかありません。どうか、安らかになどお眠りにならず、そちらから「叱咤激励」のお便りをください。いつの日か、転地療養で元気になられた先生にお会いする日を楽しみにしています。では、その時まで御機嫌よう。      不一                                                             
3月11日、筑西市のペアーノで開催される朗読劇『あの夏の日の記憶、ヒロシマナガサキ そして」で、
先生の辞世の詩が朗読されます。PM1:30からです。お近くの方どうぞお出かけください。