長崎は、毎日雨だった

6月23日から26日まで、長崎に行ってきました。大村空港から高速バスで長崎入り。毎度ながら運転手さんの親切に感動。降りる時、必ず運転席から降りてきて荷物を取り出して手渡してくれる。関東ではセルフサービスで、車のトランクに出し入れは自分でしなければならない。若いときはそれも気にはならなかったが、老いてくると大きな荷物をトランクの奥から取り出すのさえ大変。タクシーの運転手さんも親切、ほんとに心が温かくなる経験をした。
日程は、びっしりで平和活動家故濱崎均先生のお宅を訪ね、仏壇の先生に活動報告。拙作「かわいそうなひまわり」を
版画付きで展示してくださったタイピントギャラリーの山口さんにご挨拶、ついでにそこに出入りしている若い漫画家さん、PCの達人、宮崎から駆けつけた「ばってんネットワーク」の事務局のKさんなどと、「これからのナガサキを、どう伝えていくか」を話し合った。
被爆者は年々死んでいくので、被爆者の生の証言だけに頼っては、やがて「ナガサキからの平和のメッセージ」は消えゆくことになる。参考にしてもらいたいと、つくば市周辺で戦争の体験も被爆の体験もない人たちの熱心な「ヒロシマナガサキを伝える活動」を報告した。
被爆者の証言を集めた60冊におよぶ証言集、ウエーブ上で聴くことができる1000人を超える被爆者の声を大切な資料(材料)として、それをどう料理して食卓に出すかが、これからの人たちの仕事であること。
たとえば、分かりやすく詩にして朗読するとか、映像や漫画などにして広めるなど、若い人だからこそ出来る方法で、
反核平和」を被爆地から発信してほしいと意見を言った。被爆地以外で活動している同じ想いのグループのことにも
関心を持ってほしい。そしてそんなグループと被爆地の活動が連携できるようなイベントを考えてほしいなど。
この話が、被爆地としては新しい視点ということか、記者クラブでも話すことになり、孫のような記者さんが、思ったよりたくさん聴いて下さった。
長崎市長さんに「ばってんネットワーク」にメッセージをお願いしてあったので、秘書室を訪ねご挨拶。フルにうごいたけれど、まだやり残したことありで残念!元気を出してまた帰郷しようと思う。長崎で出会った皆さんありがとうございました。それにしても、長崎はほんとに雨が多い。