岩垂弘氏の出版記念会

8日、岩垂氏の出版記念会が高輪和彊館で開かれた。岩垂氏は、元朝日新聞記者で、リタイア後、退職金を注ぎ込んで「平和・協同ジャーナリスト基金」を創設され、官権からはなかなか評価されないジャーナリストの仕事を評価し支援していこうといういう活動に取り組んでおられます。この度は、昨年の秋出版された「ジャーナリストの現場からーもの書きをめざす人へ」という約500ページに及ぶ内容の濃い立派な著書の出版記念会でした。この方にしては遅い出版記念会でしたが、ご本人ではなく周囲の方々の企画でした。謙虚で穏やかな人柄が多くの人の信頼を集め、いつも錚々たる方々が、岩垂さんの周囲を固めています。この本は、ジャーナリストとして、どんな時でも現場主義を通し、「名もない人々のつぶやきを聞け」、記事のウラをとれなど、ジャーナリストとしての基本的なあり方が経験を通して書いてあり、若いジャーナリスト、もの書きをめざす人には、必読書です。

錚々たる方々がお集まりになった記念会で、私ごときに、スピーチの機会を与えてくださいました。高齢になって、時々的確な単語がでてこない状況で、ちょっと緊張しました。以下スピーチの一部。

「岩垂さんは、長野県出身の方なのにどうして、「広島、長崎、沖縄〜と平和問題を追い続けられるのだろう」という疑問がありましたが、この御本を拝読してその理由がわかりました。それは、広島出身の靉光画伯が義理のお父様でいらっしゃること。靉光画伯は、残念ながら1946年に他界されましたが、反戦、反骨の画家でメッセージの強い画風で、
共感していましたから、びっくりしました。(実は、2008年に出した本「いっしょうけんめい生きてきたと!」に手記を寄せた橋本和明画伯が惹かれたという画家だったので、調べていた)靉光画伯の養父母に当たられるお二人は、原爆の影響で戦後まもなく亡くなられたということで、(私が肉親を亡くした想いに共通するものをお持ちである)一般的には記者として広島、長崎は通過点になるはずなのが、今もなお拘って取材し世に問われていらっしゃるのだと知り、味方を得た気持ちになりました。
もう一つ、この本にお書きになってないことを、恐縮ですが私の経験からお話させていただきます。約20年前、原爆童話を書き、皆さんに読んでいただきたくご迷惑も顧みず、コンタクトのあった方々に送りました。その中に岩垂さんがいらっしゃいました。岩垂さんは、その本のことを、街の話題にして載せてくださいました。さすが大新聞、思わぬところから連絡があり、人、団体とのネットワークが出来ました。そしてその10年後、その童話の英訳本を出来たネットワークのお陰で、世界に配布することになり、その送り先のアドレスに「平和のメッセージを」というミニレターを届け続けて15年になります。小さな記事から世界へ大きな広がりを見せ、記事という無機質なもののウラに血の通った人々の繋がりが出来、お互いに元気と勇気をいただいて、今に至っています。まがりなりにも、平和活動が続けてこられたのは、岩垂さんのお陰です。ご本人には、自覚しておられないでしょうし、お手柄みたいなことは、お書きにならないのでしようが、ジャーナリストは真実を報道し人々を啓蒙するほかにも、こうした人々のつながりにも大きな役目があるのだということ、このことでどんなにたくさんの人が、勇気と元気をもらうことができるかということを、若い記者さんのためにも次のご著書でお書きください。「名もなき人々のつぶやきを聞いていただき」私のような経験をした人が、岩垂さんの周りにはたくさんいらっしゃるはずですから。これからもますますお元気でご健筆をお祈りいたします。
最後に、リタイヤ当日、帰路わざわざ車を止め、奥様にありがとうの花束をお買い求めになったシーンで、やはり完璧なジャーナリストだと、感動しました。(私は男女共同参画社会実現の活動もやっているので〜)これからは、お二人で世の中をリードしていただきますようお願いいたします。
本日は、おめでとうございました。(岩垂さま、当日、さん呼びで失礼致しました。緊張してお祝いと感謝の気持ちをあまりうまく話せませんでしたが、以上のような内容でした。)