個人、施設など、全てのみなさまへ 「平和の鐘を一振り」にご参加を

猛暑の折、いかがお過ごしでしょうか。
日頃の「平和の鐘、一振り運動」への、ご理解とご支援に厚く感謝申し上げます。また東日本震災で被害を受けられた皆様に、心からお見舞い申し上げます。私の周辺も屋根瓦が飛ぶなど少々の被害を受け、まだ低レベルの放射能に悩まされる状態にあり、心なしか今年は活動にも気が抜けた状況です。
しかし、来月は広島、長崎の原爆忌を迎えますし、今年は福島原発事故によって、日本中、誰もが、放射能の問題を考えざるをえなくなっております。
長崎出身者として、これまで日本に放射能の被害を繰り返させたくないと、小さな活動を続けてまいりました。「平和の鐘、一振り運動」もその一つです。
海外には6年前、国内は5年前に呼びかけました。
お陰さまで、8月6日、9日に、平和の鐘(鳴るものでしたら、何でも可。)を、鳴らしてくださる所は、アメリカのオハイオ州やベルギーなどの教会など、外国でも、実行して下さるところも出てきました。国内では、約50ヶ所のお寺や教会が参加してくださっています。
趣旨は、「1945年8月、米国が広島、長崎に投下した原爆によって、その年の暮れまでに、約20万人以上の犠牲者を出しました。このたくさんの犠牲者は、原爆投下後、たった10秒間で、死の烙印を押された結果だったそうです。
(1998・8.6NHKスペシャル“原爆投下10秒の衝撃)
 そこで、この一瞬の大量虐殺を、一振りの鐘の音(実は梵鐘の音は、10秒間より長いようです)で実感し、長崎を世界最後の核兵器による被爆地とする。そして広島、長崎の犠牲者の冥福を祈願し、未来の世界を平和へと導くために、「平和の鐘」を9日、午前11時2分に一振り鳴らそうというものです。
昨年は、思いがけずも各地で真剣に取り組んでくださるお寺や教会が出てきて、正式な行事にしてくださった所もあります。やがて、長崎、広島の被爆者はこの世を去っていきますが、このような取り組みが、長崎、広島を超え全国的な意識昂揚となり、それは世界へと広がっていくことと信じます。
あれから、66年、すでに広島、長崎を知らない若い人たちも出てきました。
町中に鳴り響く鐘の音で、「平和への願い」はもちろんのこと、今年は核の平和利用による環境破壊にも警告を喚起したいものです。
平和を願う、個人、寺院、教会、施設などの更なるご参加をお願いいたします。
こんな時だからこそ、「平和の鐘」を、一人一人の心に鳴り響かせ平和で安全な世界を祈願したいものです。どうかご協力をお願いいたします。
 末筆ながらみなさまのところが、この難関を乗り越えられご繁栄なさいますことを、心から願っております。 不一                       
                     2011・7・吉日   鶴文乃

フランスへ!!

今月上旬、日本脱出して、フランスの南部のボルドーからサルラー、カオール、アルビー、カルカッソンヌと、回ってきた。パリから国内便でボルドーへ、眼下には、広大で豊かな田園風景が広がり、山らしい山はない。
地上に降りれば、中世の建物のオンパレード。豊かな河の流れには、世界遺産の古い橋もかかっている。小さな村は、教会を囲むように民家があり、どこを撮っても、絵葉書になる。
雨が降っても、濡れながら歩く。放射能が混じってるわけでないので、安心。
この国は70%以上が、原子力エネルギーだという。日本と違うのは、地震国ではないこと。国土が平野で、人が住める広さが、日本とは大きく違う。
もともと、フランスと日本の自然への考えは違うように思う。日本は古来から自然と共生する思想だし、フランスは人類が自然を克服し支配していくものというように。そういう観点からみると、原発への思いも日本とは大いに違うのではないかと思う。
その違いを無視して、原発先進国の言うなりに日本が取り入れることには、やはり問題がある。美しいフランス、何十年経っても景観を変えない人々の努力には、頭が下がる。こんなすばらしい国が、今、東北日本のような放射性物質が降り注ぎ、雨にも濡れられないようなことになってほしくない。
フランスは、地震国ではなく、過酷な自然現象も高い技術力で抑えられるのかもしれないが、一番怖いのは人間!、いつか原発がテロに狙われないとは限らない。悲観的だと叱られるかもしれないが、これ以上地球を汚すのは、未来の人たちのために、何として避けたいもの。放射性物質は、目に見えずどこまでも広がっていくことになるのだから。そんなことを思いながら、また放射能性物質が降っている我が家に帰ってきた。

心に平和の鐘を鳴らそう!

平和とは、戦争がなければ平和といえるのでしょうか?飢えや貧困、そしてこの度の原発事故に起きた放射性物質による地球上の汚染、これらは、人間の生活を脅かし、平穏な日常を壊してしまいます。
早く何気ない穏やかな生活を取り戻したいです!!

6年前から、「広島、長崎を忘れず、平和の鐘を鳴らそう」という運動を展開しています。その呼びかけ文を原発バージョンに変えてみました。

   心に平和の鐘を、鳴らそう!ー福島原発事故によせて

どうか、人間のエゴで、青く広い空を
放射能で汚さないでください。
想定外の原発事故だからと、福島原発事故
私たちが見過ごすとしたら、
放射能は、大きな気流に乗って地球を巡り
世界の人々の上に、死の灰は不幸をもたらすでしょう!


どうか、人間のエゴで、豊かな大地を
放射能で汚さないでください。
母へ捧げる感謝のカーネションも
父の日に背広を飾るバラも
降り続く放射能で、大地は穢れ
まともな花は咲かなくなるでしょう!


どうか、人間のエゴで
はてしなく美しい海を
放射能で汚さないでください。
魚や貝や海草の楽園が、
度重なる核実験や原発事故で破壊されるとしたら
それはやがて地上の人間も死んでいくことになるでしょう!

(一部省略)

人は自分が体感しなければ
自分の問題としてとらえないという。
さあ、福島原発事故の重みを、心の芯まで感じて
心の平和の鐘を鳴らそう。
そして、これ以上地球のどこをも放射能で汚すことがないよう誓いましょう!
これから、生まれてくる希望に満ちた全ての命のためにも。

さあ、気を取り直して!

 気がつけば、5月も半ばに近づいています。あの地震以来、「喫茶あひる」がクローズになって、「大人のしゃべり場」の場所探しに右往左往してしまいました。解散もありかと思いましたが、震災でそれぞれいろんな事情を抱えながら、4月も予想に反してたくさん集まりましたので、そうもいかないだろうと、予定通り、きょう、先月急遽場所を提供してもらったビジネスホテルのレストランで、再び開きました。
雨が激しく、たまには余震もあるし、いつもと違う場所だし、5,6人来ればいいほうかと行ってみると、20数名の参加でした。
精神疾患のハンディキャップを持った人たちの地域活動を支援する{わかば」からも8名ほどの参加!多いのにちょっとびっくり。この施設には、さまざまな制約があって、だんだん参加者が少なくなっていて、そのうちゼロになるのではと、思っていたので嬉しい誤算でした。
また、2月アフリカに海外赴任したEさんが、突然顔を出し驚いた。政変で急遽避難してきたという。また、仕事を探していたTさんが首尾よく見つかったそうだ。
そして何よりの吉報は「喫茶あひる」の店主が、店を再開するということ。
みんなほっとした顔をして、拍手。なんでもない、どうでもいい集まりなのに、今となっては、そう簡単に解散とはいかないようです。

さあ、これから気を取り直して、みなさん、頑張らずいきましょう!!

 

最初のお見舞いメールは、パラグアイから!

昨夜も強い地震があって、眠れない夜が続いています。そろそろ日常のペースがもどりつつあったのに、まだまだ予断を許さないようです。

そんな中にも、嬉しいこともある。先月11日の大地震の翌日、最初のお見舞いのメールは、パラグアイからでした。昨年の国際ペン大会で出会ったパラグアイペンクラブの会長さん、MS.KASAMATSUからです。

地震に遭遇する前、YOUTUBUで私の作品「嘘だと言ってください」にアクセスしてくださり、とても共感したので あなたをスペシャルゲスト作家として、作品をスペイン語に訳して、パラグアイの著作集に載せたいと連絡がきていました。早速、拙い作品ですがよろしくと、OKの返事を出したりしていたところでした。

きっと、それで気にかけてくださったのでしょう。さすがはグローバル社会、南米のお国から、早速のお見舞いのメール、ありがたいやら嬉しいやら。

日本の文学の世界では、原爆小説や詩など、文学の範疇に入らないという考え方もあって、特別視されている状態ですが、日系3世のMS.KASAMATSUは、日本から離れたところに生活されていて、日本の被爆国としての役割を痛切に感じられているのだろうと思います。

今度の福島原発事故で、被曝者に対する偏見が出てこないよう心から祈りたい。
 http://www.youtube.com/watch?v=_GqmBX-LJGI

人類を滅ぼすのには、核兵器はいらない、原発で十分?

 3月11日、帰宅難民を経験し、茨城の自宅へたどり着いたら、予想外に大変な状況になっていました。といっても津波に襲われた東北や北部茨城に比べれば、大したことはありません。本や資料が散乱し、グラスや陶器が割れて足の踏み場もないのは、人生の整理整頓の機会と思えば、気持ちも楽。
問題は福島の原発です。東電や政府が「大丈夫だ、大丈夫だ」とTVで流しても、いつもより、何倍かのヨウ素やセシュウムが空気を漂っていると思うと、気持ちがいいものではありません。長崎の原爆被災者として、放射能の怖さは身に沁みてわかっていて、執筆活動ではその度書いてはきたけれど、自分も電気を使って豊かな暮らしをしている身としては、原発が事故を起こしたら、その被害をあえて受けても仕方がないと、諦めて声高に反対してこなかったのです。それは日本の高度な技術にどこか期待していたところもあります。
 しかし、ここにきてまた被曝の恐怖を感じる今、個人的な心境はおいといても、この環境の破壊は、他に比べようもない甚大のもので、日本のみならず世界中に及ぶものであることを実感しています。大袈裟かもしれませんが、人類を滅ぼすのに「核兵器はいらない、原発があれば十分ではないか」という思いです。あれから1ヶ月経とうとしていますが、お天気が続いているというのに
私の周辺では、洗濯物を外に干してあるところがありません。窓も締め切って散歩も行かず、どんどん気持ちが滅入っているのです。
原発については、これまでもその専門の学者や原発の建設に携わった人が、危険性を主張しておられました。その心配が的中してしまったように思います。
これから、生活が少々不便になっても、人間に限らず生物に安全なエネルギーに切り替えていくよう、一人一人が努力することが大切だと思っています。

「ハンディは、エネルギー」と生きてきた!

11日、その日、秋のイベントの打ち合わせに東京に出かけていました。長崎での幼馴染、3人のおばさんたちは、久し振りに某カフェで会って雑談か打ち合わせか分らないおしゃべりに夢中でした。

と、突然ぐらぐらと店が揺れ始め、5,6本天井から下がっている80センチもあるかという細長のランプがお互いにぶっつかりあって音を立てる。すぐに揺れが止まるかと思いきや、なが〜い!!

おばさん3人は、思わずテーブルをくっつけて、下へ潜り込んだ。やっと揺れがおさまった時、店内を見るとテーブルの下に潜ったのは、私たちだけ。

他のお客さんは座ったままテーブルにしがみついていた。大袈裟だったかな?と思ったが、3人とも幼い時、長崎の原爆や大陸での戦争体験があり厳しい人生を歩いてきた。ので、
恐怖の時のとっさの動作は、DNAに組み込まれているのかな?(笑わないで!)

東京での関東大震災かと思ったら東北だった。我が家も屋根瓦が吹き飛んでいた。がこのくらい大したことではない。
後日、あの光景は原爆のあとの長崎と重なって涙が止まらなかったというメールもあった。

直撃を受けたみなさん、ほんとに大変だと思います。これからも困難な人生が待っていると経験から言えますが、「ハンディはエネルギー」ということもあることをお伝えしたいと思います。